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    なぜ日本は降伏したのか

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    関東軍敗退の地図。

    1945年8月20日、最後の関東軍司令官山田乙三(やまだおとぞう)がソビエト軍に投降し、降伏文書に調印した。

    1945年8月20日、最後の関東軍司令官山田乙三(やまだおとぞう)がソビエト軍に投降し、降伏文書に調印した。

    関東軍の歴史は1931年の満州事変に始まる。これで満州は日本の支配下に置かれた。

    ソ連との戦争に備え、1941年までにその兵員は132万人に増大。しかしソ連軍がモスクワ近郊でヒトラー軍に勝利し、日本もソ連侵攻を諦めることになった。

    1945年8月、ソ連は米・英・中に対する同盟上の義務を忠実に履行し、日本に宣戦布告、満州侵略を開始した。ソビエト軍は中国および満州のパルチザンを支援した。

    ソ連軍の最初の強力な攻撃の結果、既にその翌日には、日本政府は東京のソ連大使を通じ、無条件降伏宣言を受諾する用意がある、と伝えた。しかし日本軍司令部は兵士らに投降を命じることはなかった。ソビエト兵は敵の抵抗を粉砕し、所期の課題の遂行に邁進していった。

    結果、ソ連侵攻最初の5日間で、満州における日本の拠点は破壊された。ソ連軍軍は関東軍を解体した。

    8月19日以降、日本軍はそこここで投降し、捕虜となった。この経過を早めるために、また逃亡したり、貴重品を破壊する間を与えないために、ハルビン、奉天、長春、吉林省、ポートアーサー、ダリネム、平壌、カンコウ、ハムヒンその他多くの都市に空挺部隊の下降作戦が行われた。

    20日、関東軍の最後の司令官、山田乙三が降伏文書に調印した。満州で大敗した上は、日本にはもはや海外で作戦を遂行できる力を持たなかった。

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