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    ナチスの包囲戦でペテルブルグの猫たちの成した功績とは? 市中に多くの猫記念碑があるのはなぜ?

    ナチスの包囲戦でペテルブルグの猫たちの成した功績とは? 市中に多くの猫記念碑があるのはなぜ?

    © 写真: Yuliya Goldman
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    リュドミラ サーキャン
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    明日、1月27日、ロシアはナチス独によるレニングラード包囲戦からの解放記念日を祝う。

    1941年夏、ヒトラーはレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)の周辺部で軍事行動を展開した。ヒトラーはこの町を地図上から消し去り、住民もろとも壊滅させる計画を抱いていた。町の防衛の突破に失敗した独軍司令部は飢餓による町の奪取を決める。1941年9月町は環状に包囲され、鉄道交通も遮断された。レニングラード包囲戦は871日間に及んだ。これは人類史上最も長きに渡り、恐怖に満ちた攻防戦とされている。攻防戦による死者の数については40万人から150万人まで様々に数値が分かれている。そして1944年1月27日、町は完全に開放された。

    飢えに苦しむレニングラード市民の命を救ったのが実は…、猫であったことはあまり知られていない。封鎖の2年間、飢餓で弱りきった人々が町を行く最中に死ぬことも稀ではなく、凍りついた死体が転がっていようが、人々はもう驚かなくなっていた。とうとう何も食べるものがなくなった場合、声に出して言うのも恐ろしいことではあるが、猫の肉が食された。なぜならそれが人命を救う唯一の方法だったからだ。1943年頃までには町から猫の姿は消えた。そして代わりにネズミの大群が文字通り町に溢れかえった。ネズミは壊滅的な勢いでわずかに残った食料を食い漁っていった。人間はすっかり力を失っていたため、ネズミらは生きた人間にまで襲い掛かるようになった。伝染病の蔓延の脅威が町を覆う。そればかりではない。ネズミたちは美術館、博物館に入り込み、残されていた芸術作品や書籍、絵画までを食い漁っていったのだ。

    こうした事態になって猫を他の地域から連れてくることが決められた。そして鉄道交通が部分的に回復されるやいなやレニングラードにヤロスラヴリから猫を詰め込んだ車両が到着する。猫たちは直ちに戦闘を開始し、地下室、屋根裏部屋、ゴミ捨て場からネズミを一掃し始めた。

    猫たちは凍えた子どもたちを暖め、恐怖に満ちた時代のすさんだ心になにがしかの喜びをも与えたのだ。

    ペテルブルグの人たちはそんな猫たちの成した功績を未だに忘れてはいない。包囲戦当時の猫たちに感謝して捧げた記念碑は町のあちらこちらに見られる。また英雄の猫らの子孫もペテルブルグには健在で、中にはキャリアの道に進んだものもいる。かの有名なエルミタージュ美術館でも猫たちは所蔵品をしっかり守って活躍している。

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