生死のさかい
8月下旬ごろと思うが、朝起きると頭髪が抜けて、机にベッタリ着いた。身体中が痛くなり、毎日寝ていたが、離毛もひどく、まさに生死のさかいであった。「ピカにあった者は、頭の髪が抜けて、歯茎から出血したり、体に斑点が出て次々に死なれるそうだ。この子も助かれば良いが」との枕もとでの半睡状態の耳に入ってきた。私のことを話しているのかなと思いながらも、死の恐怖はなかったような覚えがある。
再度、小学校5年生
昭和21年4月、再度小学校5年生に入学し、当分の間は青空教室で学んだ。小学校5年生を2度繰り返しても、昭和20年の1年間が消えるものではない。母に心配をかけ、無惨な死に方をさせたとの思いなど、様々な思いが年を経るごとに大きくのしかかる50余年であった。戦争の愚かさや怒り、悲しみを多少とも伝え、核兵器の廃絶、恒久平和の実現に微々たりとも一助になればと、拙い文で恥ずかしくもあるが、記憶をたどり記した。
(寺本 貴司「消したいあの一年」『平和文化』第139号,2000年12月)