• ウラジーミル・ジリノフスキー
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© Sputnik / Vladimir Fedorenko
ウラジーミル・ジリノフスキー

ロシアの最も奇抜な政治家の一人であるウラジーミル・ジリノフスキー氏(71)のことは、恐らく、ロシアでは皆が知っている。ロシア自由民主党(LDPR)党首であり、これまで大統領選挙に度々立候補し、最も高齢の国家会議(下院)議員の一人(議員になったのは1993年)である。奇抜な振る舞いや派手な声明、また文学的労作や歌唱でも知られる。

ジリノフスキー氏が政治の道を歩み始めたのは、ロシア史の激変期、90年代の初めだった。その時以来、大統領選挙に5回参加している。

法律を専攻したジリノフスキー氏が初めて候補者として大統領選挙に臨んだのは1991年。自身の政党は当時、「ソ連自由民主党(LDPSS)」と呼ばれていた。この選挙でジリノフスキー氏は、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(RSFSR)の初代大統領となるボリス・エリツィン候補、共産党のニコライ・ルイシコフ候補に次ぐ得票数3位を占めた。ジリノフスキー氏は、音楽の道でも自身の能力を試した。新年のものも含め様々なコンサートでロシアの流行歌を披露している。

ジリノフスキー氏による、人々の記憶に最もよく残る創作の一つとなったのは、著書『我が父』である。この本には、自身の親戚や同僚、記者らの回想が収められ、ロシア自由民主党党首の幼少期や青春時代についても語られている。統一した工業国のためにジリノフスキー氏は自らの選挙綱領の中で、ロシアにおけるロシア民族に対する「国家の母体民族」の地位の付与実現や、ソ連崩壊の結果失われた領土の平和的手段による回復プロセスの開始、またロシア語のための、そして「移民による支配」に対する戦いを公約している。

さらにジリノフスキー氏の綱領の項目には、死刑に対するモラトリアム廃止も含まれている。

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