【特集】「ロシア人とは何か一般の人に伝えたい」 東京の露料理店オーナー・前田奉司さん

© Sputnik / ドミートリ ガヴリーロフ「日本・ウラジオストク協会」会員らによる会合
「日本・ウラジオストク協会」会員らによる会合 - Sputnik 日本, 1920, 16.06.2023
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東京で「日本・ウラジオストク協会」会員らによる定例会合が開かれた。今回のテーマはウラジオストク出身で、アカデミー主演男優賞の受賞経験のある米俳優ユル・ブリンナーだった。会場を訪れたスプートニク通信の特派員は、主催者や参加者と対話し、テーマの選択や協会の活動について話を聞いた。
「日本・ウラジオストク協会」は2007年に設立され、現在では日本全国の80人以上が参加している。会合は毎月1回開かれているが、全員が同じ場所に集まるのは簡単ではない。だが、あるレストランが助け舟を出してくれた。レストラン内にプロジェクターとスクリーンを設置したことで、オンラインではあるが遠隔地の希望者も参加できるようになっている。
スプートニク通信は「日本・ウラジオストク協会」事務局長の浅井利春さんに、協会ができた経緯について質問した。浅井さんは過去にはビジネスマンとして活躍し、ウラジオストク日本センターの所長を務めた経験もある。
浅井さん:私がウラジオストクで日本センターの所長だったとき、当時一緒にウラジオストクにいた総領事がウラジオストクの応援団みたいなものを作らないかと提案しました。それで日本にいた私はまたウラジオストクに行き、でき上がったんです。
スプートニク: もともとロシア語の勉強をされていたのですね。
浅井さん:そうです。私は神戸の外語大学でロシア語を勉強しました。だけど、ラグビーもやっていたから、あまり真面目ではありませんでした。
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今回の集いのテーマはユル・ブリンナーの人生やキャリアという、一風変わったテーマだった。この米国の有名俳優は1920年にウラジオストクで生まれた。彼の生家はウラジオストクの発展に貢献した一族だった。ブリンナーは子供時代にヨーロッパに移住し、その後米国に渡り俳優としての栄誉を手にした。

スプートニク特派員は、会合で3時間にわたりブリンナーについての講演を行った翻訳者兼ロシア語教師の樫本真奈美さんに話を聞いた。

スプートニク: ユル・ブリンナーについて色々なお話を伺いましたが、なぜこのテーマを選んだのでしょうか?
樫本さん: やはりブリンナーの家族がウラジオストクの街を作った人々の一つということです。そのうちにロシア革命も起こるじゃないですか。日本にとってもウラジオストクは、例えばシベリア出兵で日本軍が駐留したり、非常に関係が深いですよね。だから、すごく興味を持ったんです。あと、ブリンナーのお爺さんがなんと日本に10年も住んでいたというのが、すごく驚きました。それでもっと調べてみたいなと思いました。
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スプートニク:なぜロシア語やロシアの文化、歴史に興味を持ったのですか?
樫本さん: 私は元々神戸市外国語大学でロシア語を勉強していました。私の先生はソ連時代に初めてロシアに留学した日本人女性で、渡辺侑子さんという方でした。先生はアンナ・アフマートヴァマリーナ・ツヴェターエワについての本を書いていました。私はそれを読んですごく面白いと思って、ツヴェターエワを勉強して卒業論文を書きたいと思ったのです。それでロシアのサンクトペテルブルクで1年間留学しました。そこから亡命したロシア人も含めて、ロシア革命の前後に活躍した作家や文化人に興味が出たんです。今はソビエト時代の作家もとても興味があるんですけれども、最初のきっかけはツヴェターエワの作品などを、自分でロシア語で読みたいなと思ったことです。
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協会が集いの会場に選んだのは、府中駅(東京都・府中市)の近くにある居心地のよいロシア料理店「ペーチカ」だ。ほぼ世界全ての国の料理店が集まる都心部とは異なり、郊外にこうした外国料理店があるのは珍しいと指摘しておきたい。

スプートニク特派員は「ペーチカ」のオーナーで、株式会社「Business Coordination Japan」の代表取締役を務める前田奉司さんにも話を聞いた。

スプートニク:レストランをオープンしたのはいつですか?
前田さん:4年前です。
スプートニク:なぜ東京でロシア料理を開いたのですか?
前田さん:私はロシアで24年間働いていました。モスクワで12年、極東のウラジオストクとハバロフスクで合わせて12年です。色々なロシア人に出会いました。今、テレビや新聞はロシアのイメージを歪曲しています。ロシアの政権を批判することしかしない。ですが、50年以上一緒に働いてきた、私が知っている本当のロシアの人々は違うのです。だから、私はロシア人がどういったものであるか、一般の日本人に説明したいのです。私のレストランで彼らと落ち着いて話してみたい、テレビなしでね。
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