22:33 2019年03月22日
福島県浪江町にある請戸小学校 2011年3月11日の津波は教室を襲った

南相馬で被災した子どもたち、ロシア訪問の印象を語る「福島について話したとき、ロシア人は涙を流してくれた」

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アナスタシア フェドトワ
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2018年6月、東日本大震災で最も被害を受けた場所のひとつである福島県南相馬市から、三人の中学生がロシアを訪問した。彼らはサッカーW杯ロシア大会で日本代表を応援するとともに、福島で今何が起きているのか、本当のことを世界に向けて語るためにロシアを訪れたのだ。東日本大震災から丸8年が過ぎようとする直前、スプートニクは彼らと会い、ロシアを冒険した印象と、福島の過去と現在について話を聞いた。

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ロシア、スパシーバ

ロシアを訪問した三人は今月8日、日本サッカー協会で「福島のいま」と題した発表会を行なった。メンバーのひとり青田琉園(るのん)さんは言う。「3月11日に発生した東日本大震災で福島県は大きな被害を受けました。そして震災の影響で発生した福島第一原子力発電所の事故により、私たちの故郷の多くは避難を余儀なくされました。世界中の方々からいただいたご支援とその地域に住む人たちとの絆は大きな力となりました。震災から8年となり、私たちの故郷は少しずつですが確実に復興への歩みを進めています。」

青田琉園さん、本間一乃巴さん、杉本佑斗さん、角田寛和氏、在日本ロシア大使館および在新潟ロシア総領事館職員、日本プロサッカーリーグ副理事長兼日本サッカー協会常務理事の原博実氏、Jリーグチェアマン村井満氏
© Sputnik / Anastasiya Fedotova
青田琉園さん、本間一乃巴さん、杉本佑斗さん、角田寛和氏、在日本ロシア大使館および在新潟ロシア総領事館職員、日本プロサッカーリーグ副理事長兼日本サッカー協会常務理事の原博実氏、Jリーグチェアマン村井満氏

青田さんは昨年6月、本間一乃巴(いちのは)さん、杉本佑斗さんと一緒にロシアを訪れた。この訪問は東日本大震災および福島第一原発事故からの復興支援に対する感謝と、福島の現状をロシアに伝えるプロジェクト「トモにロシアへ」の枠内で行われたものだ。震災当時、青田さんは7歳だったが、当日の記憶はとてもはっきりとしている。青田さんはその日の様子を、昨年5月のスプートニクの取材に対して次のように話してくれた。

「児童館で祖母の迎えを待っている間に地震にあいました。海の方の学校に通っていたんですけれど、1回目の地震が終わって、2回目の地震が始まる間に少し時間があり、車が迎えに来ました。家に帰らずに、だいたい1週間くらいは祖母の家で寝泊まりしていました。そのとき、父は出張でいなくて、帰ってくるまではとりあえずそこにいました。父は女川の方に行っていて、震災の影響の津波は間近に見たと言っていました。そして私のクラスの男の子の1人は津波で流されてしまいました」

青田さんが震災後に初めて同級生に会ったのは、クラスメイトのお葬式だった。

青田さん、本間さん、杉本さんは、震災直後に、ロシアが南相馬におもちゃや本、楽器などを届けたことを知っている。それから7年が経ったとき、ロシアを訪問した彼らは、支援に対して、直接感謝の気持ちを述べることができた。彼らは「私達も地元の伝統的な踊りを見せて、震災支援に対する感謝の気持ちを話させてもらいました」と振り返る。

モスクワ、サンクトペテルブルク、サランスクの三都市で、青田さん、本間さん、杉本さんは、ロシア人に、今何が福島で起こっているのかを話し、自主制作映画「MARCH」を上映した。この映画は南相馬のマーチングバンドについてのドキュメンタリーだ。

青田さんは言う。「大人の人が涙を流しながら話を聞いてくれました。映画も泣きながら見てくれた人とかもいて、終わった時にありがとうございましたと挨拶しながら握手していました。その時にも『がんばってね』とロシア人の皆さんが声をかけてくれたりとか、あと、たぶん日本語がしゃべれない人だったんですけど、『アリガトウ』って日本語で話しかけてくれました。」

「ロシアのイメージが変わった」

ロシア訪問はサッカーW杯とタイミングをあわせて行なわれた。本間さんと杉本さんにとってはこれが初めての海外旅行だった。昨年5月のスプートニクとのインタビューでは、ロシアに対して知っていることはある?との問いかけに、二人ともきまり悪そうに下を向き、明確な答えは返ってこなかった。本間さんは自信なさそうに「きれいな印象がある」と話した。しかし今は違う。サランスク郊外の小さな駅で買ったイチゴがとても美味しかったこと、モスクワのタクシーが猛スピードで移動していたこと、ロシアがびっくりするほど暑かったことなどを口々に話してくれた。

杉本さんは、ロシアに行ってからロシアの印象が変わったと話す。「一番思い出に残ったのは、ロシアは良い国だったということです。行く前は少し不安というか、怖いのかなという感じがあったんですけど、行ってみたら会った人はみんな優しかったので、またもう一回行きたいなと思いました。思い出もできたし、とても良い国だと思いました。」

青田さんは、本人が希望していたように、日本に戻っても連絡を取り合うことのできるロシア人の友人を見つけることができた。

青田さん「一番心に残っているのは、ロシア人の皆さんが本当に親切にしてくれて、ボランティアで通訳してくれた人がとてもたくさんいて、日本人の大人がいないときでも「体が疲れていない?」などと気遣ってもらいました。ロシアはものすごく町並みがきれいでした。ロシアのことは行くまであまり知らなかったんですけど、帰ってきてから一番大好きな国になりました」。

生徒たち、角田さん、アントン・チギリョフ在新潟ロシア総領事館員
© 写真 : Anastasia Fedotova
生徒たち、角田さん、アントン・チギリョフ在新潟ロシア総領事館員

いっぽう本間さんは、ロシア人のおもてなしに感激したという。「子ども芸術劇場を訪れたときに、食べ物やダンスでおもてなししてくれたんですけど、僕らも東京オリンピックがあるので、ロシア人みたいなちゃんとしたおもてなしの心を磨きたいなと思いました。」

プロジェクト「トモにロシアへ」は、サッカー日本代表を応援する団体「Smile for Nipponちょんまげ支援隊」代表のちょんまげ隊長ツンさんこと、角田寛和さんによって発案され、在新潟ロシア総領事館のアントン・チギリョフ二等書記官らの協力を得て実現した。

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福島, 露日関係, 日本, ロシア
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