スプートニク日本
親切心ゆえの差別
ロシアの元外交官が日本での生活について語る
記者:マリア・チチワリナ
写真:ロマン・マルィシェフ
外交官の仕事といえば、普通テレビの中でしか見ることができないような上流社会のパーティーに列席したり、政治家と交流したり、国家的に重要な問題を解決する・・・といった姿が頭に浮かぶ。こうした一般人のイメージがどれほど現実と合致したものなのか、「スプートニク」は元外交官のロマン・マルィシェフ氏にお話を伺った。
ロマン・マルィシェフ氏はロシアの元外交官で、5年にわたり在日本ロシア大使館に勤務した。この間に、数十の行事を組織し、また露日の閣僚級会談で通訳を務めた。
「外交官とは、アナリスト、ジャーナリスト、マネージャーを兼任する職業である」
履歴書を送付してから、職務につくまで3年ほどかかりました。それで外交官になることは半ば諦めていました。そこで、外務省から電話がかかってきたときは、ようやく夢が叶ったと思いました。知的な人たちの中に身を置き、出張に出て、外国人と交流し、勢力的に分析を行う。わたしにぴったりな仕事だと思いました。一生、この職業を全うできるなら、それは自分の天命だと感じました。
ロマン・マルィシェフ
外交官の仕事というのは、常に大量の報告書や書類を作成しなければなりませんが、次第に、完璧にこなせるようになります。しかし、書類の仕事以外にも、アナリスト、ジャーナリスト、マネージャー、管理者としての機能を果たさなければなりません。わたしの場合は、地理に詳しく、機転の利く運転手としての仕事もこなさなければなりませんでした。今この商業地区にある混雑した道から別の道に行ってくれと言うようなわがままな役人を乗せているときには、どちらに向えばいいのかすぐに判断しなければなりません。」
「もう一つ、外交官と切り離せない仕事が通訳と翻訳です。これはありとあらゆる分野に及びます。わたしが初めて通訳として出席したのは、モスクワで開かれた開発対外経済銀行のイーゴリ・シュワロフ会長と安倍晋三前首相との会談でした。→モスクワで開かれた当時のイーゴリ・シュワロフ第1副首相(現在、開発対外経済銀行会長)との会談でした。
会場には護衛たちが並び、皆が真剣な顔つきをしていて、最初は会場の雰囲気に飲まれ、偉い人たちがいる状況に緊張してしまいます。しかしこれも時とともに慣れてくると、躊躇なく、発言者に聞き返したり、発言の意図を確認したりできるようになります。
ときに、政治家が好んで使う格言や哲学的な深い推論に頭が爆発しそうになりますが、これも一種の鍛錬になります。」
「唯一、あまり嬉しいことではなかったのは、ロシアに対する世論が芳しいものではなく、ロシアのイメージが北朝鮮や中国に対するものと同列であることでした。しかし、日常生活で、わたし個人に対して、そのような態度が反映されることはなく、逆に、外国の外交官というステータスから、相手には恭しい態度を示されたものでした。
概して、外国人に対する日本人の態度は、親切心ゆえの差別と呼んでいいでしょう。言語のレベルでも、たとえば、日本語で質問をしても、日本人は外国人に日本語は理解できるはずがないとでもいうように、頑なに英語で答えてくるのです。日本人は、こうすることによって外国人を助けてやっていると思っているのですが、実際にはこれは外国人の状況をより困難にしているのです」。
「運転中に通話しないように」
自らが準備に参加した行事の中で、もっとも記憶に残っているものの一つが、ロシア大統領の日本訪問だとマルィシェフ氏は語っている。
「道路が通行止めになっていたため激しい渋滞となり、街の中心部では極右団体が拡声器で反ロシア的スローガンを叫んでいました。大統領の車列はそんな渋滞や道路の通行止めなど、ものともせずに進んでいきますが、ジャーナリストを乗せたバスに随伴して運転していた私の方は、その車列を追い越して、前に出なければならなかったのです。」
歴史の教科書に記されるかもしれない出来事の一部になれるというは、喜ばしいことです。わたしが携わったのは、2016年のウラジーミル・プーチン大統領の訪日で、わたしはロシア人ジャーナリストの東京での取材一切のコーディネートを一任されました。
移動手段の確保もわたしの仕事でした。大勢の記者団を必要な時間に必要な場所に送り届け、羊飼いのように予め皆を集め、別の場所に運ばなければなりませんでした。
ロマン・マルィシェフ
「武道館に近づくと、建物に通じる道路が警官によって通行止めされていました。あちこちから電話がかかってきました。警官の鼻先で通行証を振りかざし、通してくれるよう懇願しました。驚いた警官はうなづきながら、「運転中は通話しないように」とだけ言いました。
警官が通行止めのフェンスを退け、わたしたちを通してくれ、わたしたちは人のいない道路を猛スピードで会場に向かいました。大遅刻していました。やっとのことで到着し、記者たちは一団となってバスから降り、カメラや三脚を抱えて階段を駆け上がりました。エレベーターを待っている時間がなかったのです。演武はすでに始まっていたので、畳の端をそっと歩いて、それぞれ持ち場につき、撮影しました。なんとか間に合ったのです」。
フィルムに収められた日本と高円宮女王
日本駐在の間にマルィシェフ氏はネガフィルムの写真を撮り始めた。これが多くにおいて、現在の仕事を決定づけた。
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「わたしが日本に行ったのは、2013年の夏です。周囲のすべてが色あざやかで新鮮で興味深いものに感じられました。新たなものを発見する好奇心に誘われ、わたしは休日ごとにカメラを持ってあちこちに出かけました。のちには、平日、ランチや外で人と会うのに出かけた際にも写真を撮るようになりました。」
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駐在2年目に、写真コンクール「外交官の目で見た日本」への出展を申し込みました。これは日本にある外国の大使館や領事館の職員を対象に毎年行われているものですが、このコンクールで、意外なことにわたしが1位に選ばれたのです。出展した10点の作品の中から、審査員が選んだのは、アニメの主人公の衣装を身につけて、東京の通りで自転車を停めている男性を写した写真でした。
わたしは、高円宮女王が出席される授賞式に招かれました。賞品に、レンズが2つついたキヤノンのデジタル一眼レフをいただきました。
「コンクールで優勝した後、長いこと、日本の新聞各社に作品を掲載させてほしいと依頼されました。」
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マルィシェフ氏は、日本滞在中に、デジタルとネガフィルムの写真、合わせて数百枚を撮影した。(いくつかの作品は「スプートニク」で紹介させていただいている)。
外交官として数年勤務した後、この仕事におけるポテンシャルをすべて使い果たしたと感じたマルィシェフ氏は、故郷のサンクトペテルブルクに戻り、現在はフリーランスで、コピーライター、フォトグラファーを兼業している。そしてネガフィルム写真に対する熱い気持ちは、今も彼の人生の中に生き続けている。
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