04:46 2021年09月20日
ルポルタージュ
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週末を使って、ロシアの小都市タンボフを訪れた。約30万人が暮らすタンボフはモスクワから460キロ南に位置し、夜行列車で一泊と、気軽に小旅行に行ける距離である。タンボフにはかつて日本人抑留者の収容所があり、帰国が叶わなかった多くの日本人が埋葬されている。露日協会タンボフ支部長のヴャチェスラフ・フェドートフさんに案内してもらいながら、日本人慰霊碑、町の名所やひまわり畑、ラフマニノフ博物館などを見学した。

日本人死亡者の慰霊碑

敗戦を迎え、武装解除された日本兵が抑留され強制労働させられた歴史は、一般的にシベリア抑留と呼ばれているが、実際はシベリアだけでなく、ソ連全域に及んでいた。タンボフはヨーロッパ・ロシアに属する地域だが、ここにも複数の収容所があった。

2017年3月、日本政府によって日本人死亡者の慰霊碑がタンボフ州のノーヴァヤ・リャダに建立された。日本への帰還へ希望をもちながらも叶わず、1945年から1956年までの間に亡くなった人々を偲ぶ慰霊碑である。慰霊碑は、市内から近く、整備された道路のすぐそばにあり、アクセスがよい。隣には、ドイツ人、イタリア人、スロヴァキア人の慰霊碑もある。

聞けば、実際に日本人が埋葬されている場所は点在しており、オフロード車でないと墓地までたどり着けないのだという。埋葬場所が正確にわからないケースも多々あり、遺骨の回収は終わっていない。ごく最近、フェドートフさんの知人が、旧日本軍の認識票と思われるものを発見した。これについては厚生労働省に調査を依頼することにした。戦争が過去のものではなく、ごく身近にあることを実感した。

右にあるのはイタリア人死亡者慰霊碑
© Sputnik / Asuka Tokuyama
右にあるのはイタリア人死亡者慰霊碑

古き良きロシアの田舎

ロシアの小さな町は、インフラ整備が遅れているところが多いが、タンボフは道路状態もよく、気持ちよく手入れされている。鉄道駅から、全ての名所を歩いて回ることができる。戦時中に攻撃を受けなかったため、古い建築が現在まで残っている。現在、郷土史博物館で日本に関する特別展を開催中だ。展覧会は3月に開幕したが、人気があるので現在まで続いている。

広大な市場では新鮮で安い地元の果物や野菜を買うことができる。タンボフは農業が盛んで別名「じゃがいもの町」とも呼ばれている。その名のとおり、普通のスーパーでさえ香りのよい新鮮なじゃがいもが買えるのに驚いた。

ツナ川
© Sputnik / Asuka Tokuyama
ツナ川

この日は暑かったのでツナ川のクルーズに参加した。川べりにはところどころに小さなビーチがあって、人々がのんびりと泳いでいる。フェドートフさんも仕事帰りに川で泳いだり魚を釣ったりするという。タンボフに住めばのどかな暮らしを楽しめそうだ。

ツナ川のほとりに立つ白い瀟洒な建物は、「アセーエフの家」と呼ばれる宮殿だ。ロシア革命前に布製品の工場を多数所有していたミハイル・アセーエフ氏の持ち物だったが、ソ連時代は結核療養所、のちには心臓疾患を抱える人の療養所として使われ、現在は博物館になっている。

アセーエフの家
© Sputnik / Asuka Tokuyama
アセーエフの家

ラフマニノフが愛した夏の邸宅

タンボフ州南部のイワノフカという村に、ロシアが誇る偉大な作曲家セルゲイ・ラフマニノフが愛した夏の邸宅があり、現在は博物館になっている。ミュージアム・ツアーではラフマニノフの人生について興味深いエピソードが聞けるほか、日本におけるラフマニノフコンサートのパンフレットなど、日本関連のコレクションが多数展示されている。邸宅以上に庭が広大で素晴らしく、ラフマニノフが作曲するときは必ず庭を散歩し、自室に戻ってメロディーを書き留めていたというのも頷ける。

ロシア革命が起きると、ラフマニノフは亡命を余儀なくされた。亡命後のラフマニノフは、コンサートはしても、作曲はほとんどしなかった。故郷を失ったことで、創作意欲をなくしてしまったのである。この邸宅と庭は、それだけインスピレーションを与えてくれる場所だったのだ。

博物館入り口にあるラフマニノフの銅像
© Sputnik / Asuka Tokuyama
博物館入り口にあるラフマニノフの銅像

しかし、観光名所としては、かなり損している。交通の便が恐ろしく悪いのだ。公共交通機関では行けず、タンボフ中心部からだと車で2時間近く走らないといけない。近くに何もないので、地元のタクシー運転手でさえ場所を知らない人もいる。

クラシック音楽ファンのある日本人は、タクシーでぼったくりにあってしまった。フェドートフさんは「その方から、なんでタンボフ駅から直通シャトルバスを出さないのか、すごい場所なんだからもっと旅行者にアピールするべきとお叱りを受けました。もっと知名度が上がれば、日本人の団体客を招いて貸切バスを出したい」と話す。

どこまでも続くひまわり畑
© Sputnik / Asuka Tokuyama
どこまでも続くひまわり畑

博物館まで行く道には、広大なひまわり畑や小麦畑があり壮大な眺めだが、地元の人はまったくひまわりに関心を示さない。ひまわり油を作るためのもので観賞用ではないというが、これもタンボフの観光資源になりそうだ。

町の名前が似ていることがきっかけで、タンボフは、兵庫県丹波市と民間交流を進めている。2018年には「丹波・タンボフ交流協会」が設立されており、河津雅人さんが代表を務めている。

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