16:34 2019年12月09日
アナスタシア・フェドトワ

私と話して!もしくは日本外国特派員の厳しい日常

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「Iさん、誰も私と話したがらないんです!質問しようとすると、日本人は逃げ出すか、恥ずかしがって何も言えないんです。どうすればいいでしょうか?」何切れ目かのケーキで悲しみを紛らわせようとしながら、涙ながらに私は友人の日本人に訴えた。日本で外国特派員でいることは想像以上に困難で、編集部からの街なかインタビューの指令は、もはや「ミッション・インポッシブル」だと判明した。

スプートニク日本

「あなたから誰かが逃げ出すなんて信じられない。」モスクワにいる編集長は、またも街なかインタビューに失敗したと私から報告を受けてそう答えた。何も難しいことは無いように思われる。日本語が話せるなら特にそうだ。だが丸一年の拒絶と数百回もの怯えた顔を経ると、誰かに何かを尋ねる必要があると考えるだけで身が竦んだ。

「野外」で活動したことがある記者なら誰でも、非友好的な態度に直面したことがあるだろう。大都市に住む忙しく常にどこかに急いでいる人々は貴重な時間を費やしてまで、しつこいリポーターの質問に答えることを望まない。基本的に他人との交流を好まない日本では状況はさらに深刻だ。外国特派員が東京で街行く人から喫緊の問題について尋ねようとすれば、凍えるか熱射病になる可能性の方が、記事に使えるほど十分な量の情報を集める可能性より格段に高い。

「根拠は?」と言いたいかもしれない。では、私の経験からいくつか例を共有しよう。

「No-no-no!」

2018年5月。一般の日本人がロシアから連想するものを語る短い動画を複数制作するよう編集部から指令を受けた。

ズルをしてロシアに詳しい友人に助けを求めることは、正直な記者のルールに違反する。そのためカメラマン(彼も外国人)を連れて街に出た。課題は簡単ですぐに終わると思っていた。わずか3人へのインタビューだけで済むのだ。だが実際には、これは通行人からどんな答えでも良いから回答を得ようと試みる永遠のように長い4時間だった。

大学生グループが立ち止まってくれた(やった!)。もうすぐ3つどころか、6個の答えが手に入る。

「たった1つの質問に答えていただくだけで結構です。ロシアと言われて連想されるものは?」と日本語で私は質問した。

10分もの熟慮を終えた大学生たちはクスクスと笑い謝りながら去っていった。結局答えは出さなかった。「大丈夫。よくあること。ただロシアについて何も知らないだけなのかも」と私は考え、再び狩りに出る。

「こんにちは!突然申し訳ありません。私はロシアからの記者なのですが…」

「No-no-no!」またもや勢い良く手を振りながら歩みを速める通行人だ。

2018年の総決算 私たちをあっと言わせた10人
© Sputnik / Savitskaya Kristina/Shumilova Eleonora
昨年1年を通じて、日本各地の展覧会、劇場、街なか、店舗、フェスティバル、コンサートで人々は私から逃げて行った。そのため年末に近づくと、私は戦意をすっかり失い、編集部からインタビューの課題が来る度に大きなストレスとなっていた。

だが改めて数えてみても、インタビューは1度どころではなく、取材相手は幅広い職種と社会階層に渡った。

そもそも、毎日と言って良いほど私と知り合おうと街なかで誰かが声をかけてくる。だがロシアのプレスカードを首にかけて自分から通行人に話しかけようとするやいなや、日本人は急いで私から逃げ出すのだ。

「日本人になってみたらどうかな」

「Iさん、誰も私と話したがらないんです!私の何がいけないんでしょうか?」何度目だろうか、私は日本人の友人に訴えた。

「日本人になったらどうかな」と少し考えた後に彼は答えた。「日本の記者が付けている腕章を持っていないだろう。プレスカードを付けたとしても、みんなは君が誰だかわからなくて、話したがらないんだ」

クリスマスツリーの下で私は新年、新たに快適で興味深い勤務日への希望を吹き込んでくれるプレゼントを見つけた。大きく「取材」と書かれた腕章が入った封筒だ。これからは堂々とインタビューから職場に戻れる!

皆さん、東京の街なかでスプートニク特派員を見かけた時は、質問に答えていただければ大変助かります。皆さんの好意のおかげでサイトの訪問数だけでなく、私の自己評価も高まるのです!

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