04:15 2019年12月15日
ドキュメンタリー映画『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』

ロシアの「アニメーションの神様」の深部に迫るドキュメンタリー  日本人アニメ作家がノルシュテインの新作品『外套』を40年近く待つ理由とは

ふゅーじょんぷろだくと / 配給:ラピュタ 配給協力:ノーム
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17日、東京都写真美術館で才谷遼氏のドキュメンタリー映画『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』の上映が始まった。この作品は、監督がロシアの著名なアニメーション作家を訪ねてモスクワを訪れる、一風変わった旅を綴ったものである。というのも旅の目的が、ロシアの偉大な作家ニコライ・ゴーゴリの短編小説をモチーフにした長編アニメーション映画 『外套』の制作開始から40年近く経った今、ノルシュテイン氏がどうしてこの作品を未だに完成させられないのかを探ることなのである。

『外套』って、どんな話?

ゴーゴリの小説「外套」は帝政ロシア時代のサンクト・ペテルブルグが舞台の物語。 真面目で貧しい下級役人アカーキー・アカーキエヴィッチは、長い間着古し修繕不可能となった外套に別れを告げ、生活を切り詰めて貯めたお金で新しい外套を手に入れた。清書することが生き甲斐で、役所で目立つことがなかったアカーキーが、新調した外套を着ていくと、今まで仲間はずれにしていた役所の連中がこの話題で持ちきりになり、祝杯をあげる騒ぎになった。

ところがその帰り道で、大切な外套を追剥に奪われる。アカーキイは外套を取り戻そうと、警察署長や有力者に尽力してもらえるように頼む。どちらにも相手にしてもらえず、おまけに叱責されてしまう。これらのことが重なり、彼は熱に倒れて、外套のためにそのまま死んでしまう。

しかし、話はこれで終わりではない。作品の最後は本当のミステリーに包まれている。アカーキイは幽霊となり、夜な夜な盗まれた外套を探して、道行く人から外套を追い剥ぐようになった。ある日、外套を取り戻すよう頼まれたが叱責した有力者は愛人の家に向かう道中、アカーキイに外套が奪われる。その日から有力者は以前ほどの高慢な態度をとらなくなり、アカーキイの幽霊も姿を現さなくなった。その後、別の街で官吏の幽霊が見られると噂が流れ、実際に一人の巡査が目撃したが、その姿は背が大きく、大きな口ひげがある別の幽霊だったという。

ドキュメンタリー映画『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』
ドキュメンタリー映画『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』

どうしてこの作品を選んだのか?ノルシュテイン氏を日本で有名にしたものとは?

「我々は皆ゴーゴリの『外套』から

生まれ出でたのだ」

フョードル・ドストエフスキ

「『外套』は極めて偉大な寓話であり、聖書に記されなかった章である」

ユーリー・ノルシュテイン氏は過去のインタービューで、愛する古典作品を選んだ理由について、そのように語っている。彼は『霧につつまれたハリネズミ』と『話の話』といった著名な短編アニメーションの作者である。これらの作品は2003年に東京で開催された第4回ラピュタアニメーションフェスティバルにおいて、世界の140人のアニメーション作家と映画評論家の意見をもとに選ばれた『世界と日本のアニメーションベスト150』で1位と2位に輝いた。この2作品以外にも、『あおさぎと鶴』 (52位)、『狐と兎』(70位)、『おやすみなさいこどもたち』 (81位)、『外套』 (92位) の4作品がベスト150に入っている。また、2004年、ノルシュテイン氏は日本の秋の褒章で、国家・社会に貢献した人に贈られる旭日章を授与されている。映画の公式サイトはノルシュテイン氏について、「宮崎駿監督や高畑勲監督に多大な影響を与えたアニメーションの神様」と紹介している。

才谷遼監督の映画では、『外套』の選択についてノルシュテイン氏があらゆる角度から哲学的考証をしており、それがとても自然で面白く、『外套』という文学作品を全く知らない人でさえも引き込まれてしまう。

どうしてノルシュテイン氏は精神性がこんなにも日本に近いのか?

「仏に逢うては仏を殺せ」という言い回しがある。

ユーリー・ノルシュテイン

この質問に答えるのは容易なことではない。なぜなら、もともとノルシュテイン氏に日本との直接のつながりはないからだ。しかし、彼の「独特な日本的思考と瞑想的な美学」は、東洋学者のみならず、ノルシュテイン氏自身も指摘するところだ。とりわけ、かつて『話の話』について語った際、ノルシュテイン氏はこの映画には「日本に繋がるものがある」と言っており、作品を「貫くイメージは、日本の詩や絵画、そして生活様式全体のメタファーであり、束の間のはかないものこそが、人生において最も重要で本質的なものであるという考え方である」と語っている。さらに、ノルシュテイン氏はこの作品には自伝的な要素があることを何度も指摘している。

こんな哲学を持つノルシュテイン氏だからこそ、かつて松尾芭蕉の有名な俳諧集『冬の日』の短編アニメーションの第1話を依頼されたのも驚きではない。

かつて『外套』の制作過程を語った際、ノルシュテイン氏がとても日本らしいメタファーを使ったことは興味深い。彼は次のように言った。

「時折、ゴーゴリの眼差しを感じるのが辛いときがある。だから最近は『外套』を見ないようにしている。小説を覗いてしまうと、その強い魅力とフレーズを浴びて、身動きが取れなくなってしまうからだ。「仏に逢うては仏を殺せ」という言い回しがある。『外套』も読み終えたら、もう退けておかなければならない。というのも、すでに別の作業が始まっているからだ。もちろん、自分自身の中にはいつでも『外套』があるわけだが。」

どうして『外套』が提起する問題は、ロシアと日本だけでなく、すべての現代世界にとって重要なのか?

かつて、ロシアの国営文化チャンネルがこれに対して、かなり正確な答えを出している。ノルシュテイン氏の『外套』は「人間の恥の集合体」である。「ひとりの人間が別の人間の気持ちや苦悩を理解しようとしないことに対する恥」であり、そのような問題はどこにでも見られるものだからだ、というのがその答えだ。

日本では、才谷遼氏のドキュメンタリー映画を見た後に、新千歳空港国際アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクターである土居伸彰氏が次のように語っている。「見ず知らずの他人を妬み、富に憧れることが息を吸うように当たり前となっている時代を生きている私たちは、ノルシュテインの言葉に、ハッとするだろう。」

ノルシュテイン氏も次のように述べる:「(編集者注:現代世界で)何かが変わるためには、そのために然るべき努力が必要だ。実際、人生は毎日の地道な努力を要求している。こちらは難しい。なぜなら、そうやって他人に同情する気持ちを蓄積してきた人間にしか、そうやって一定の知識と教養を蓄積してきた人間にしか、地道な努力の先にある、より大きなものは見えないからだ。人生がとても単純なもので成り立っていることを理解しない限り、それが芸術で示されない限り、何も起こらない。単なる飾りだけの宗教、飾りだけの芸術、飾りだけの人間になってしまう。そういうことなんだよ。」

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ドキュメンタリー映画『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』
さて、どうして40年近く経った今も『外套』は完成していないのか?

ノルシュテイン氏自身が、最大の問題は彼自身にある、自分で自分にあまりにも高い目標を課したからだと告白している。しかも、ノルシュテイン氏はコンピューターを使うことを断固として拒否しており、手作業を続けることが重要だと考えている。そうした地道な作業が頭をしっかりさせると考えているからだ。一方で、ノルシュテイン氏は、さまざまな状況も少なからず深刻な影響を与えたと語っている。とりわけ、近親者や同僚、そして彼自身の健康問題もそうだ。もちろん、最大の障害のひとつは資金問題である。かつてはソ連政府から資金を得ていたノルシュテイン氏だが、今はわざわざ国に支援を乞うことはしたくないと考えている。スポンサーの申し出についても、条件に納得できず、その多くを断っている。しかし、ロシアでノルシュテイン氏を忘れる人はおらず、『外套』の制作支援キャンペーンが行われることも珍しくない。

ユーリ・ノルシュテインとフランチェスカ・ヤールブソワ(妻)
ユーリ・ノルシュテインとフランチェスカ・ヤールブソワ(妻)

才谷遼氏のドキュメンタリー映画『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』の3月の初演を見逃した方は、東京都写真美術館で8月23日(金)まで見られるチャンスがあるので、是非どうぞ。

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