大会直前、特注の競技用三輪車いすとともに現地入りしたアレクサンドルさんたちだったが、車輪の不具合や身体を固定するベルトやクッションの問題など、装備面でハプニングが発覚した。しかし幸運なことに、ロシアからの車いすアスリートで、フルマラソン部門に出場したルスタム・アミノフさん、セミョーン・ラダエフさんと現地で知り合った。
経験豊富な2人が装備についてアドバイスしてくれ、関係者が足りないものを買いに走ってくれたおかげで、本番に間に合わせることができた。結果、車いすは理想的な状態となった。東京パラリンピック出場を目指す二人の先輩アスリートのタイムは、総合16位に入ったアミノフさんが1時間34分19秒、23位のラダエフさんが1時間35分51秒だった。
アレクサンドルさんは、大会本番で1時間17分44秒という自己ベストを記録したが、入賞はかなわなかった。
2倍の距離を走っているのに、自分の記録とあまり変わらないタイムを出した先輩たちの勇姿は、アレクサンドルさんにとって大きな刺激となり、新たな目標が見つかった。

渡航前は「日本でマラソンに出られるなんて夢でしかないと思った」と話していたアレクサンドルさん。レースを終えて、明るい表情を見せた。
アレクサンドルさん「順位は、欲しいと思っていた結果とは違いますが、課せられていた大きなミッションを、自分のために果たすことができ、自分に勝利することができました。(先輩たちの)40キロ以上走って1時間半というのは、僕から見れば距離もタイムも驚くべきことで、車いすマラソンを続けて、またこの大会に出たいというモチベーションがわきました。」
天候にも恵まれ、この日の大分は最高気温が20度を超えた。「一秒たりとも気を緩めることはできず、常に喉がかわいてしょうがなかったです。水分補給用スプレーを喉でなく顔に吹きかけて、しのぎました。そのこと以外は何の問題もありませんでした。」
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初めてロシアを出て、外国に来たアレクサンドルさん。せっかく大分に来たのだからと、関係者の家族が大分名物の関アジ・関サバを食べに連れ出してくれた。
アレクサンドルさん「人生で初めて、とても新鮮で美味しい魚を食べました。今まで寿司は好きじゃないと思っていたんですが、ここに来て、全然違う食べ物だとわかりました。日本はすごく清潔な国で、ゴミ箱がないのに、お菓子の包み紙さえ落ちていません。大分の町は大変便利で、移動に何の不自由もなく、人々はとても親切で、熱烈に歓迎してくれました。」アレクサンドルさんは18歳になるまで、障がい児が集まる孤児院で育った。孤児院では外国語学習の機会がなかったので、昨年入学したカレッジで英語を始めたばかりだ。今回の車いすマラソンで得た自信で、チャレンジ精神がより高まったアレクサンドルさんは「英語だけでなく、日本語を話せるようになりたいです。ずっと僕のために通訳してもらって申し訳ないというのもありますが、自分で会話したいという気持ちがわいてきました」と話している。
アレクサンドルさんたち一行は、大分で障がい者を積極的に雇用している三菱商事太陽のオフィスを見学した後、東京に移動。浅草やお台場といった観光地、博物館、三菱商事本社などの訪問のほか、車いすラグビーの見学、ロシア語を学ぶ大学生との交流を予定している。

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