ロシア・東欧のアート書籍専門店

イスクーストバ

店主の稲葉さん、ロシア美術への愛について 

ロシア美術は世界文化の重要な一部である。しかし、西欧や米国の美術と比べ、ロシア・東欧圏の美術は現在の日本で広く認知されているとは言い難い。ロシア・東欧のアート書籍専門店イスクーストバの店主、稲葉直紀さんはこのように考えている。稲葉さんは、できるだけ多くの日本人に面白く分かりやすい方法でロシア美術を伝えたいと考えている。稲葉さんとロシアとの出会いとは?ロシア美術のどこが好きなのか?今後はどのように活動を拡大させていくのか?スプートニクが稲葉さんに聞いた。
「一気にこの世界に引き込まれた」
ロシア美術との初めての出会い
「民衆の前に現れたキリスト」. モスクワのトレチャコフ美術館所蔵. Depositphotos / Igor Poleshchuk
「民衆の前に現れたキリスト」 モスクワのトレチャコフ美術館所蔵 写真: Depositphotos / Igor Poleshchuk
イヴァン・シーシキンによる「松林の朝」 // 写真 / Sputnik: Mikhail Fomichev
イヴァン・シーシキンによる「松林の朝」 写真: Sputnik / Mikhail Fomichev
ロシア文学がきっかけ
稲葉さんは上智大学外国語学部ロシア語学科に学んだ。2016年の卒業後、オンラインショップでロシア・東欧のアート書籍専門店イスクーストバを立ち上げた。稲葉さんが最初にロシアに関心を抱くきっかけとなったのはロシア文学だった。
「高校生の頃に英語とか外国語自体に結構興味がありまして、それでどの言語にしようかなと思った時にドストエフスキーツルゲーネフとかロシア文学を読んでいた時期があって、それでロシア文化に興味を持つようになり、勉強するならロシア語をやってみようかなと思いました。」

稲葉さん

子ども時代の稲葉さんはルノワールやシャガールの展覧会に行くのが好きだったが、芸術に真剣にのめり込んだことは一度もなかった。しかし、在学中のロシア渡航がすべてを変えた。

「2010年頃、最初の1年生の夏休みにモスクワに行く機会がありました。2週間-3週間ぐらい滞在して、 短期留学みたいなものでした。
最初にトレチャコフ美術館に行きまして、それがロシア美術との初めての出会いになったと言えます。そこで出会ったのはミハイル・ヴルーベリの作品だったんです。『デーモン(悪魔)』の本物を見た時に、絵が持っているエネルギーがすごいなととても感じました。それに圧倒されてしまいました。それで一気にこの世界に引き込まれました。」
実は、学生の時、お金が全然なかったんですけれど、ヴルーベリ以外、シーシキンの画集も買いまして、ご飯を食べるお金がなくなっちゃいました(笑)。ですので、先輩からお金を借りてその本を買いました。
稲葉さん
稲葉さんはヴルーベリが世界的に有名な「ロシアを代表する画家」でありながら、レーピンシーシキンクラムスコイとは違い、日本では一度も展覧会が開催されたことがないことに驚いた。大学にもロシア美術に関する科目はなかったため、モスクワから帰国後、新たに熱中したこの分野を稲葉さんは独学で学んだ。
「お酒の代わりに本を出す」
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ロシアと東欧のアートを
紹介するイベントについて
ショップの立ち上げ後、展覧会と販売会をあわせたようなリアルイベントを年1回、開催するようになった。このイベントで稲葉さんは来場者にロシア絵画について語っている。このようなイベントの頻度を増やす予定だったが、コロナ禍でその計画は延期を余儀なくされている。

『お酒の代わりに本を出す"本のバー"』

「最後に開催したイベントは昨年の11月でした。東京石川台の古書店タバネルブックスという住宅街の本屋さんで『お酒の代わりに本を出す"本のバー"』というコンセプトで、カウンター席に座っていただき、お客様のお好みをお聞きして本棚の中から厳選したロシアと東欧のアートブックやチェコの絵本を紹介していました。

残念ながら、コロナの影響で人数制限がありましたので、多くのお客様を集めることができませんでしたけれども、これからもこういうような面白いイベントを行いたいと思います。」

イベントの形式はまったくさまざまだ。コロナ禍が始まる直前のイベントは、代官山にあるソ連グッズを扱う専門店 「Johnny Jump Up」で2019年に開催した。
*2, 3, 4 の写真は2019年1月に自由が丘のギャラリーで開催したイベントの写真
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「JOHNNYさんが持っているソ連時代の古い絵本と僕のお店の本を展示してみたら面白いのではないかと思って、こういうイベントを行いました。一番興味深かったのはエリク・ブラートフという画家の作品だったと思います。ブラートフは可愛らしい絵本を描いていて、それと同時にコンセプチュアルアートみたいなものに携わっていたんです。ご覧になりますと、一人の画家が描いた絵であると思わないほど違う作品に見えるのではないかと思います。」

稲葉さん
エリク・ブラートフとヴィクトル・ピヴォワロフなどの本
何故かと言いますと、ソ連時代って表だって、前衛的なというか、挑戦的なアートを描くのが難しかったじゃないですか。ですので、当時の人達はそういうのを本当は作りたいんですけれど、表向きにはこういう絵本イラストとかを描いて、お金を稼ぎながら、裏では週末に狭いアパートで、仲間内で集まって全然違う絵を描いていたという事実があるということです。というと、ソ連時代のアーティストには二面性、表と裏があり、人格が2つあるみたいな、そういう興味深い側面があるので、そこが伝えられたら面白いのではないかなと思って、現代アートと絵本を一緒に展示するということをやっていました。
稲葉さん
「ロシア人は本を凄く大事にしている」 
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お気に入りのロシアのアートブックについて
お気に入りの作品について稲葉さんは熱く、活き活きとし語り、ときどき深く語りすぎていないかと尋ねながら、恥ずかしそうにはにかんだ。稲葉さんはずっしり重いアートブック数冊をインタビューに持参した。ロシア美術について話す稲葉さんは、絵画そのものを称賛するだけでなく、ロシアの本のつくりも称賛した。
「ロシアの本は色んな観点から見てもすごい」

「ロシアのアートに関する本は色んな観点から見ても本当にすごいです。本のデザインとか装丁とかもものすごく凝っているし、気合いが入っている。もちろん日本の展覧会も図録とかカタログはありますが、基本的にはソフトカバーで、小さくてペラペラしている感じです。けれど、ロシアのはガッシリしていて、ロシアの人は本をすごく大事にしているなと思いますね。」

稲葉さんが好きなジャンルや分野は多岐にわたるが、19世紀末から20世紀初頭のロシア美術に特別な関心を抱いている。
写真: Sputnik / Eleonora Shumilova
レオン・バクストの「芸術世界」
「どれも好きですけれど、レオン・バクストが作った『芸術世界(ミール・イスクーストヴァ)』の作品はすごく好きですね。一般的にアールヌーボーみたいな感じで、今までの19世紀までのロシア絵画とは違って西洋主義というか、西洋に近づこうという作品です。陳腐な言い方かもしれませんが、本当にきれいな絵が多い。レオン・バクストはバレエ・リュスの衣装のデザインも担当していました。バレエ・リュスは1910年代くらいからパリとかロンドンで公演して、そこで欧州を圧巻させた。欧州でロシアのバレエが流行った時期があって、その一番の源流となったのが『芸術世界(ミール・イスクーストヴァ)』という芸術グループなので、そういうロシア発のグループが世界で有名になったという事実がすごく面白いなと思います。そこが一番好きですね。」
稲葉さんのコレクションの中には、ロシアでもあまり知られていない画家のアートブックもある。
ニコライ・フェーシンという画家がいまして、ロシアでも特に知られていない方です。彼はソ連になってからアメリカの方に亡命して、ロシアで活躍していた時期もあったんですけれども、そんなに長くはなかったんです。肖像画が中心で、発色がものすごく興味深いと思います」

稲葉さん
フェーシンは生まれがロシアのカザン市ですので、僕が最後、2019年にロシアに行った時、モスクワだけでなく、カザンにも行きました。フェーシンのロシア時代の作品をカザンの美術館で見るためだけに行きました(笑)。
稲葉さん
稲葉さんは、外国への渡航が制限されているコロナでは、外国美術に関する本がより大きな価値を持つと考えている。こうした本を通して、心の外国旅行ができるからだ。
逆にコロナになって、みんな海外に行けなくなっていると思うので、自分が海外で仕入れた本を見せることで、本を開くと違う世界が開けるということがある。例えば、レーピンはあまり日本で知らないと思うんですけれど、『ああこういう人もいるんだ』という感じで。ページをパラパラめくるだけでも海外旅行をしているような、違う文化を吸収しているような気分になれるので、ちょっと違う文化を吸収する手伝いができるのかなと思います。コロナ禍だからこそ、こういう本を日本に持ってきて紹介することはすごく意義があることなのかなと思っています。
稲葉さん
現代イラストレーターの絵本シリーズ。「想像力の豊さがロシアのイラストレーターのすごいところだなと思う」と稲葉さんは語る。
スプートニク
今後の予定は?何をしたいと思っていますか?

稲葉さん

そんなにたくさん人は入れられないけれど、自分を介してロシアや東欧の文化を知ってもらえるようなお店を作ろうかなと思っています。ただ本を売るだけでなく、紹介する場所ですね。本だけでなく、文化もちゃんと紹介できるような本屋さんを作ろうかなと思っています。普通の本屋さんを作っても、今は難しい。今年か来年にはオープンさせたいなと思って、クラウドファンディングも使って資金を集めていきたいなと思っています。

スプートニク

最後にひとことお願いします。

稲葉さん

1970年代から1980年代くらいに、日本でも一瞬だけロシア絵画ブームがあったんです。1975年頃からロシア・ソビエト絵画展が色んなところで行われるようになりまして、そこからロシア絵画にはまる人が続出したんです。しかし、ソ連が崩壊して、今はそういう機会が10年に1回あるかないかぐらいになってしまいました。昔は日本人もロシアのアートに関心を持っていた時代があったのに、今はそれが薄れてきてしまったという印象です。



ですので、今後はロシアのアートに対する関心が復活してくれれば嬉しいです。自分の正直な気持ちとして、日本人にはロシアに対する見方にステレオタイプ的なものが多いと思います。ソ連とかロシアと言ったらこれ!スターリンでしょ!みたいな。もちろん、そういうのから入ってもいいとは思うんですけれど、ソ連やロシアにはきれいな美術があるので、そっちに目を向けてもいいのかなと思っています。ロシアは芸術大国であり、音楽もすごいし、バレエもすごいし、アートもすごいに決まっているんです。そういう見方が拡がってくれたら嬉しいです。