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    ネアンデルタール人

    学者達:現代人の耳はネアンデルタール人より原始的

    © Flickr/ Claude Valette
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    現代人とネアンデルタール人の耳は、違った具合についているが、聞こえ具合は同じだという。この研究は、専門誌Proceedings of the National Academy of Sciences.の中で発表された。

    研究作業の過程で、専門家らは、ネアンデルタール人14人の耳小骨をコンピューター断層撮影の助けを借りて調査した。その結果、現代人との本質的違いが明らかになった。普通我々の耳には、鐙(あぶみ)骨、砧(きぬた)骨、槌(つち)骨という3つ耳小骨があり、これらが、外事から内耳に音の振動を伝達している。

    しかし学者の主張によれば、ネアンデルタール人の耳小骨は現在人のそれと大きく異なっている。例えば、ネアンデルタール人の槌骨と現代人のそれとの違いは、人間とチンパンジーとの間の違い以上に大きい。比べてみると、ネアンデルタール人のものの方が進化しており、人間のそれは遅れているとのことだ。

    それにもかかわらず学者達は、ネアンデルタール人の平均的な耳は、現代人と同様に機能していたようだと結論付けている。

    先に、英国ノッティンガム・トレント大学の学者たちが3Dプリンターで作られた人間のモデルを開発し、若手外科医の実習に使われる、と報じられた。

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      豊岳正彦
      猿の母親が自分の分身として産むこどもはどうやっても猿であり、人間は絶対に生まれない。

      猿でも分かる真理だけど、学者だけが真理を知らない群盲である。


      地球の環境は一つであるから、ダーウィンの進化論の通りだとすれば地球には現在最適者生存の原則により人間しか存在しないはずで、現実の生物の多種多様性の存在理由がまったく説明できない。

      同じ理由でビッグバンも否定される。

      ↓↓↓

      *『無刀流』は山岡鉄舟臨済宗高歩大居士開祖である。
      www.art-tokyo.com/?p=264
      山岡鉄舟大悟ののち『言行録』中に述べた『四恩』が『武士道』である。
      ikuji.g.ribbon.to/tesshuu.htm
      より、四恩のみ抜粋転記
      ・・・・・・・・・・・
      山岡の武士道は、仏教の理より汲んだものである。
      それも、その教理が真に人間の道を教え尽くされているからであるという。

      まず、世人が人を教えるに、忠・仁・義・礼・智・信とか、節義・勇武・廉恥とか、或いは、剛勇・廉潔・慈悲・節操・礼譲など、言い様は様々であるが、これらを実践躬行する人を、一般に武士道を守る人というが、山岡もこれには同意であるとして、自分には尚、人に自信するところがあるという。

      「人の、此の世の中に処するには、必ず大道を履行しなければならない。故に其の淵源を理解しなければならない。
      其の道の淵源を知らんと欲せば、無我の境に入り、真理を理解し開悟せよ。
      此処に於いて初めて無我の無我である事を悟るであろう。
      これを覚悟すれば、恐らく四恩の鴻徳を奉謝する事に躊躇しないであろう。
      これより武士道の要素であり震源である四恩の大要を物語るであろう。」

      一、父母の恩(☆父母恩重経、上杉鷹山参姫宛書簡)
      老幼男女の区別なく、各自で発現本所に立ち返ってみるがよい。
      各自の体はみなこれ父母の遺体であって、しいて「我」なるものはない。

      我々の体は皆総て父母の骨肉の分子である。

      今もしこれを父母に返還してしまったならば、更に一物も「我」というべきもののある道理がない。

      このように道理をわきまえてくれば、我が体は全部「我」のものでないという事が明瞭ではないか。

      このようにしてようやく発育したのは、父母の恩愛の結合物であって、その結合物の活動するもの、すなわちこれが各自の体である。

      故にその父母の恩愛の慈悲精神を除き去れば、只一つに「我」というもののあることはない。これがすなわち無我の真理ではないか。

      このように論じくれば、各自が体、皮肉、支節、髪膚は今此処に一個として発現しておるも、深く其の理を窮めれば、これは皆、あげて父母身体の遺物と自覚するであろう。

      各自この理を悟るならば、深く無我の理を悟り、父母の鴻恩を思えよ。実に広大無辺ではないか。

      これらを悟ったならば、我が心身は常に父母の心身と覚悟し、決して他念があってはならない。これがすなわち武士道の発現である。これがすなわち天地道徳の根源である。人の大道である。

      それゆえに我と父母とは別体の如くであるが、同心である。

      この様にして同心一体の情をなして、共に共に現世を送るべきである。

      これを名づけて父母の恩愛を奉謝するといわれている。

      これをすなわち武士道と申す。

      ・・・以下略
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