19:58 2017年11月24日
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    森川英喜(もりかわ・ひでき)氏

    モスクワの洋菓子をレベルアップさせた日本人パティシエ、20年の軌跡

    © 写真: アズブーカ・フクーサ
    文化
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    徳山 あすか
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    アズブーカ・フクーサといえばモスクワでは知らぬ人のない高級スーパー。不況の中にあっても店舗数は80を超え、拡大を続けている。高級フルーツを惜しげもなく使ったアズブーカ・フクーサのスイーツは庶民にとっては特別なもの。正月や国際婦人デーといったイベント時には、ケーキを抱えた人でレジに長蛇の列ができる。

    アズブーカ・フクーサ製菓部門の総責任者は、モスクワに来て20年になる日本人パティシエの森川英喜(もりかわ・ひでき)氏だ。森川氏はウィーンの名店「オバラ」でカール・シューマッハ師匠のもとキャリアを積み、チョコレートやケーキ、ベーカリーといった全ての部門に精通していた。1996年の春、「どんなスイーツでも作れる菓子職人がいる」との噂を聞きつけ、モスクワの超高級スーパー「エルドラード」のオーナーが森川氏をヘッドハンティングしにウィーンへ来た。ヨーロッパでのキャリアアップを検討していた森川氏は当初この申し出を断ったが、オーナーの度重なる説得と熱意に根負けし、とうとうモスクワ行きを承諾した。

    エルドラードでの仕事は思いがけないことの連続だった。90年代半ばのモスクワには「パティシエ」という概念がなく、生クリームも、ケーキに巻くセロファンも、ケーキ型も、まともな卵さえもなかった。当時のロシア人は、クリームと言えばバタークリームだと思っていた。森川氏は少しでも良いものを作るため、道具類はウィーンから持ち込み、ケーキ作りに欠かせない材料はドイツから陸路で輸入した。

    生活面での苦労も多かった。当時のロシアでは外国人が大変珍しく、森川氏が一人で歩いていると地下鉄駅周辺でしょっちゅう警察に止められたり、強盗や追いはぎに何度もあった。3ヶ月ごとしかビザが下りなかったので、しょっちゅうウィーンに戻ってビザを申請しなければならなかった。言葉の問題もあった。ウィーンではずっとドイツ語を使っていたので、ロシア人に指導する際は身振り手振り。唯一、ドイツから来たパン職人とはコミュニケーションをとることができた。
    エルドラードで地位を確立した森川氏は、その後アズブーカ・フクーサに移籍。洋菓子部門のトップ・シェフとして迎えられた。現在は惣菜部門を担当するフランス人シェフのミッシェル・ショーヴェ氏とともに、アズブーカ・フクーサの美味しさを二人三脚で支えている。

    アズブーカ・フクーサのお菓子工場にて。クリームをコーティングしているところ
    © 写真: Sputnik日本
    アズブーカ・フクーサのお菓子工場にて。クリームをコーティングしているところ

    アズブーカ・フクーサのウラジーミル・サドーヴィン社長は森川氏に絶大な信頼を置いており、森川氏は自由に自分の裁量で仕事ができている。日本に留学経験のあるサドーヴィン社長は、自ら森川氏に「こういうケーキを作ってほしい」とリクエストすることもある。店頭で大人気の「ヤポンスキー・トルト(日本のケーキ)」も、サドーヴィン社長の要望によるものだ。これは名前の通り、生クリームにイチゴをあしらった日本では定番のケーキだ。スポンジを焼く小麦粉はわざわざ日本から取り寄せている。また、アズブーカ・フクーサとしてはお手ごろ価格の「ミニ・チーズケーキ」も、日本のチーズケーキを思い起こさせる。ミニ・チーズケーキは作っても作ってもすぐ売れてしまうため、店舗で入手困難だ。森川氏によれば、オーブンの性能と焼き時間の関係で、残念ながら現在の条件ではミニサイズしか作れないのだという。

    森川氏は、現在の問題点として人材の教育と材料の入荷システムを挙げている。「日本の職人の世界と違い、従業員はお菓子づくりを一生の仕事だと思っていないので、厳しく注意するとすぐに辞めてしまいます。教えてもらって当然、という姿勢が見えてしまうのは残念です」と森川氏は指摘する。また、材料は在庫の変動に合わせて順次入荷するのではなく、入荷されるタイミングがあらかじめ決まっているので、なくなったら待たなければならない。これは、輸入材料に頼らざるを得ないロシアの全体的な問題点だ。

    しかし森川氏は、そのような条件下にあっても、品質と素材には徹底的にこだわっている。他の店が安価な材料を使い原価を抑えようとする中、アズブーカ・フクーサはそれをしない。モスクワっ子は「アズブーカ・フクーサのケーキが一番美味しい」と声を揃えるが、森川氏自身は「出来栄えに全く満足していません」と厳しい評価だ。経済制裁で西ヨーロッパからの乳製品の輸入が止まっていることも、ケーキの質に影響を与えているという。

    特別注文、車の形のケーキ
    © 写真: Sputnik日本
    特別注文、車の形のケーキ

    パティシエとしてベテランの森川氏だが、日本、ウィーンに続き第三の故郷となったモスクワで、まだまだ新しいことをやりたいと意欲を見せている。

    森川氏「ゆくゆくは、アイスサロンを開きたいですね。アイスサロンはアイスクリームとフルーツを同時に楽しめることからヨーロッパでは夏に特に人気があります。そういうカフェはまだモスクワにありませんから。また、今後はもっとチョコレートを極めたいと思います。ウィーンでは毎日、静かに時が過ぎていました。でもモスクワでは、毎日何か新しいことが起こります。これからもモスクワで、あと10年は働きたいです。」

     

     

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