https://cdn1.img.jp.sputniknews.com/i/logo-itemprop.png
Sputnik 日本
https://cdn1.img.jp.sputniknews.com/i/logo.png
Sputnik
https://cdn1.img.jp.sputniknews.com/i/logo.png
https://jp.sputniknews.com/culture/201808185241425/
第二次世界大戦期の日本政府は、ソ連のスパイ、ゾルゲ事件に関する報道を厳しく統制しようとした。今回見つかった、司法省刑事局第6課の課長だった太田耐造が残した資料に記されている。
スプートニク日本
ゾルゲらスパイグループは1941年10月に逮捕されたが、司法省がその存在を明らかにしたのは1942年5月16日になってからだった。文書には、メディアへ詳細な指示が示されている。
文書「外務省非公式意見」には、事件に関与し逮捕された西園寺公一(きんかず)の肩書から『外務省嘱託』を削除するよう指示があり、「大審院検事局意見」では報道の際に「重要機密要項の重要という形容詞を削除する」よう提案があった。
公一は元首相の元老、西園寺公望(きんもち)の孫。
翌17日の東京日日新聞(現・毎日新聞)と朝日新聞の記事は、全て要求を飲んだ内容になっている。
関連ニュース
クリル列島の無名の島にソ連のスパイ「ゾルゲ」の名をつけるよう提案される
全てのコメント
新しいコメントを読む (0)
返事として(コメントを表示するコメントを表示しない)