2011.09.11 , 14:10

ヤロスラヴリ旅客機墜落事故 原因究明に向け調査続く

ヤロスラヴリ旅客機墜落事故 原因究明に向け調査続く

 ロシアを代表するアイスホッケーチーム「ロコモチフ」の選手・関係者を乗せたヤコヴレフ(ヤク)42型機が9月7日墜落し、43名もの犠牲者が出たニュースは、ロシアのみならず世界の人々に大きなショックを与えたが、現在も事故原因究明に向けた調査が続けられている。

 事故現場での作業はほとんど終了し、今は事故機から回収されたブラックボックスの解読に大きな注目が集まっている。捜査官達は、エンジンなど機械の故障、パイロットの操縦ミスの両面から究明に当たっている。

 7日16時ヤク42型機は、滑走路から飛び立ち高度を上げ始めたが、それが適わず、毎日離陸してゆく飛行機を見ている地元住民の話によれば、事故機はあまりに低空で飛行し、航空標識のポールに触れ、住居の近くに墜落・大破し炎上した。

 多くの人が犠牲になった中で、二人、ホッケー選手のアレクサンドル・ガリモフ氏と搭乗員のアレクサンドル・スィゾフ氏が救出されたが、二人は今もかなりの重体だ。二人はモスクワに搬送され、医師団が懸命に治療を続けている。ガリモフ氏は全身のほぼ9割火傷を負っており、医薬品による昏睡状態にある。一方スィゾフ氏は、火傷は全身の15%だが、ひどい骨折がある。 この彼が、事故当時の模様を主に証言できるものと見られている。なぜ経験豊かなパイロットが、つい最近整備されたばかりの飛行機を操縦しながら、しかるべく離陸できなかったのか、これら多くの疑問を彼が説明してくれるに違いない。

 機上での録音の最初の解読によれば、エンジンは最後の瞬間まで働いていた。飛行機の水平安定版とフラップは、離陸用の状態にあった。又捜査官や国際航空委員会の専門家達は、滑走路の長さが十分でなかったという説を否定している。ヤロスラヴリの滑走路は3000メートルあり、ヤク42クラスの旅客機にとっては、その半分で十分だと言われているからだ。

 特別記者会見で、ヤロスラヴリ州のセルゲイ・ヴァフルコフ知事は次のように述べている―

 「飛行場の滑走路はすばらしいもので、3000メートルある。事故機は事実上、このすべてとさらに600メートルを滑走した。 究明される必要上がるのは、そこで実際何が起きたかだ。ヤロスラヴリの飛行場は、イリューシン76、ツポレフ214、イリューシン96などあらゆるタイプの旅客機を受け入れ、それらは問題なく離発着している。」

 現在、ロシア航空局と連邦運輸省は、ロシアで使われている58機のヤク42型機すべての状態を急遽点検中だ。それ以外に、検察は、航空会社の認可や格納庫での安全点検に責任を持つあらゆる権力機関のチェックを行っている。 そうした指示は、メドヴェージェフ大統領が出したものだ。大統領はヤロスラヴリ到着後直ちに、事故現場を訪れ、犠牲者への追悼の念を表し花束を捧げ、その足ですぐ事故捜査委員会指導部と協議した。

 メドヴェージェフ大統領は、調査終了後、局部的なものではなく全体的な結論が出されなくてはならないと強調し、次のように続けた―

 「取られるであろう決定の基礎に置かれるしかるべき結論が出されなくてはならない。民間航空分野及び航空機取得の分野における状況の抜本的変化も含め、例えそれが国家予算の多大な出費となるにしても、また航空機がどこの国で作られたに関係なく、しかるべき結論が出されなくてはならない。」

 なお、このように述べた大統領は、今回の事故の調査を自分の監督下に置いた。また大統領は事故で主力選手を失ったアイスホッケーチーム「ロコモチフ」の再生をテーマにした会議を12日に開く予定だ。 ヤロスラヴリの街にとって、チームは誇りであったし、今も誇りであり続けている。事故により、この古い歴史ある街は深い悲しみに沈んだ。服喪が発表され、あらゆる娯楽行事が取り消され、街中で半旗が掲げられた。ファン達は、特別のシールやポスターを印刷し、犠牲者の家族援助のための募金をしている。事故現場や、チームのホーム・スタジアムである「アレーナ2000」には、ひっきりなしに人々が訪れ、花を供えロウソクに火を灯している。

 VOR記者は、集まった人々にマイクを向けた―

 「今回の事故は、ロシア全体にとって大きな損失だと思います。亡くなった方々のすべての家族に心から哀悼の言葉を送ります。彼らは、素晴らしい選手でした、まさにチャンピオンでした。 新しいチームが作られ、ヤロスラヴリが再びチャンピオンになると信じています。」

 19日「アレーナ2000」では、ヤロスラヴリ出身のホッケー選手とのお別れのセレモニーが行われた。 外国あるいは他の場所出身の選手達の遺体は、故郷へとすでに送られた。お別れのセレモニーは、ロシアばかりでなく8カ国で行われた。深い悲しみは世界中を包んだ。これは決して誇張ではない。 欧州や北アメリカの何十もの町で、素晴らしいホッケー選手達の非業の死を心から悼み、多くの人々が集まり冥福を祈る集会が、誰が組織するでもなく自然に行われたのだった。

 

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