16:57 2020年05月30日
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ピアニストの惠藤幸子さんは、ロシアの名門・チャイコフスキー記念モスクワ音楽院で6年間学び、この夏に帰国した。長きにわたるモスクワ留学で惠藤さんが得たものとは一体何だったのだろうか?ピアニストの優雅なイメージとは裏腹な修行の模様をお届けする。

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惠藤さんは神奈川県出身。母はヴァイオリニスト、伯父はチェリストという音楽家の家系に育った。音楽教室に通い始めた惠藤さんが選んだ楽器はピアノ。しかし、ピアニストになるには惠藤さんの小さすぎる手は不利だった。少し指が届かないだけでも音が変わってしまうし、手に力が入り、最悪の場合手を壊すということにもなりかねない。惠藤さんは、自分なりの弾き方を見つけなければならなかった。周囲から「ピアノはやめたほうがいい」と言われた時期もあったが、惠藤さんはピアノにひたむきに取り組み、桐朋学園大学院大学に進学。恵まれた環境で、存分に練習することができた。もっとピアノを極めたくなった惠藤さんは、大学の先生の紹介で、モスクワ音楽院で教鞭をとるエリソ・ヴィルサラーゼ先生の下で学ぶことになった。音楽院の実技試験にも合格し、急に決まったモスクワ行き。ソ連時代の暗い雰囲気を知る惠藤さんの母親は少し戸惑っていたが、最終的には快く送り出してくれた。

2011年9月、晴れて音楽院に入った惠藤さんは、音楽院から片道一時間弱の寮で暮らし始めた。「ロシアの洗礼」は到着2日目にやってきた。寮の地下練習室にこもり、ピアノに集中しようと内側から鍵をかけた。しかし練習後、ドアを開けようとしても開かない。鍵が壊れて閉じ込められたのだ。ルームメイトに電話して助けを呼んだが、外側からもドアは開かなかった。とうとう鍵が折れ、最終的に惠藤さんは窓をつたって救出され、命拾いした。ドアは結局、チェーンソーで破壊された。

音楽院に行っても、すぐにレッスンを受けさせてもらえるわけではなかった。惠藤さんの指導教授ヴィルサラーゼ先生は、ソ連とジョージアの人民芸術家。現役ピアニストでもあり、多数の優れたピアニストを輩出した名指導者でもある。ヴィルサラーゼ先生は生徒を多数抱えており、長い時には朝9時から夜10時までレッスンがつまっていた。待機していても先生は惠藤さんを指名してくれず、時には「あなたのレッスンをする時間はない」ときっぱり言われることもあった。私はここにはいられない、という気持ちが頭をよぎったが、惠藤さんは「他の人のレッスンを聞くのも練習」と前向きに考え直し、ひたすら聞き続けた。ヴィルサラーゼ先生本人ではなくアシスタントに指導を受け、初めの2年間が過ぎた。

もともと留学は2年間だけ、と考えていた惠藤さんだったが「このままでは日本に帰れない」とモスクワ残留を決意。その気持ちが通じたのか、留学3年目からは少しずつレッスンを見てもらえるようになり、他の門下生とも打ち解けて、助言をもらえたりするようになった。明けても暮れても練習に励み、毎日が音楽浸けだった。選抜者しか演奏できないコンサートにも出演できるようになった。

惠藤さんはヴィルサラーゼ先生について「最初の2年間レッスンを見てもらえなかったのは、私にとって、とてもプラスになりました。先生は何かを押し付けるのではなくて、生徒が自発的に動くことをリードするのが上手い方なんです」と話す。

  • モスクワ郊外にてロシア人の友人と
    モスクワ郊外にてロシア人の友人と
    © 写真 : Sachiko Eto
  • 演奏する惠藤さん
    演奏する惠藤さん
    © 写真 : Sachiko Eto
  • キルギスにて協奏曲演奏後
    キルギスにて協奏曲演奏後
    © 写真 : Sachiko Eto
  • 寮の練習室の折れた鍵
    寮の練習室の折れた鍵
    © 写真 : Sachiko Eto
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© 写真 : Sachiko Eto
モスクワ郊外にてロシア人の友人と

めきめき実力をつけた惠藤さんは、モスクワ国際フェスティバルコンクールや、一時帰国して参加した日本演奏家コンクールで優勝。ロシア留学の成果は、まずメンタル面に現れた。惠藤さんは日本演奏家コンクールについて「ロシア生活で精神的に鍛えられて、物事に動じなくなっていたので、珍しく緊張せずに演奏できました。曲も、先生に良いと言ってもらえるまで練習したものを持っていったので、少しだけ自信がありました」と振り返る。

アンドリアン・ファデーエフ率いるレオニード・ヤコブソン記念国立サンクトペテルブルグ・アカデミーバレエ
© 写真 : Press service of The Saint-Petersburg State Academic Leonid Yacobson Ballet Theatre
音楽院の寮の地下練習室は66号室まであり、毎朝7時から行列に並んで当日利用分を予約するシステムになっている。コンサートを間近に控えているなど、特別な事情がある場合は、申請書を出せば前日から予約できる。練習室はたくさんあるが、学生の数からすれば足りているとは言えず、しかも当たり外れがある。基本的に調律はされていないし、鍵盤が割れていたり、鍵盤自体がなかったりすることもある。蓋がないのは日常茶飯事だ。予約しそびれると、使えそうにないピアノの部屋ばかり残るので、イメージトレーニングするしかない。または各部屋に置いてあるアップライトピアノを使うという手もあるが、それらは大抵、いつ買ったのか分からないくらいボロボロになっている。

美しい楽器で美しい音色を出すのはある意味で当然だが、楽器の質がどんなに悪くても、すごい演奏をしてしまうのがロシア人の、いや、ロシアで学んだ音楽家の底力だ。ちなみに音楽院にはちゃんとスタインウェイ&サンズ、べーゼンドルファー、ヤマハやカワイといったブランドピアノも置いてある。日本では滅多にお目にかからないチェコのメーカー「ペトロフ」など、重厚な音の響きが楽しめるピアノもある。

音楽を通じて知り合った両親のように、惠藤さんにもまた、運命の出会いが訪れた。音楽院で学び始めて4年目、未来の伴侶となる佐藤彦大さんが留学してきたのだ。佐藤さんもまた、日本音楽コンクールやバルセロナのマリア・カナルス国際音楽コンクールで優勝を飾った実力派ピアニストだ。2人はすぐに意気投合し、ヴィルサラーゼ先生の指導を受けて切磋琢磨し合った。昨年11月末には在ユジノサハリンスク日本領事館の招きでサハリンでコンサートを行い、佐藤さんとの連弾を披露して、ロシアのテレビでも紹介された。留学を終えた2人は揃って帰国し、ヴィルサラーゼ先生ともいったんお別れになったが、淋しい雰囲気は全くなかった。ヴィルサラーゼ先生は日本で指導する機会も多く、今年中にも来日する予定がある。音楽の世界にいれば、必ずどこかでつながっているのだ。

サハリンにて佐藤さんと共演後
© 写真 : Sachiko Eto
サハリンにて佐藤さんと共演後

ピアニストとして、指導者として、ひとり立ちした惠藤さん。これからロシアに音楽留学しようという人にエールを送ってもらった。「まだ日本では、ロシアに対して怖いイメージしかないと思うので、わざわざロシアまで行こうという人は、本当に音楽が好きな人ばかりだと思います。モスクワ音楽院の中でも、先生によってレベルも指導内容も異なりますが、行くからには辛くてもあきらめず、自分の目指すものを目指してほしいです。」

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文化, 露日関係, 日本, ロシア
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