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    スタニスラフ・ペトロフ氏

    核戦争を阻止した男

    © AP Photo/ Pavel Golovkin
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    タチヤナ フロニ
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    このハイテク時代、依然として人工知能(AI)に関する激論が交されている。AIは悪か善か、1分1秒で決断を迫られる究極の状況で間違える可能性はあるのか?議論は無駄ではないかもしれない。米国を救い、同時に全世界を核戦争から救えるのはAIではなくふつうの人間だと明らかになったのだから。ソ連防空軍のスタニスラフ・ペトロフ元中佐は、機械が命じた明確なコマンドの遂行を拒否した。

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    1983年、米ソの対立はソ連のアフガニスタン侵攻を背景にピークに達していた。さらに同年9月1日、ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空007便をソ連が撃墜した事件が火に油を注いだ。同便は航路から500キロ逸脱してソ連領空を侵犯し、同日に弾道ミサイル実験が実施されると見られていたことからも劇的なもつれが起き、偵察機だと誤解され撃墜されたのだ。悲劇的な事件により米ソ関係はキューバ危機以来最も高まった対立状態に至った。

    これほどイデオロギー的対立が白熱した状況で、ミサイル攻撃警報システムが警報を出した時に核のボタンを押さないことは、非プロフェッショナリズムの極地か、世界を核戦争から救うという偉大な使命の極みのどちらかになる。そしてペトロフ元中佐は1983年9月26日、それをやってのけたのだ。

    午前0時15分、モスクワ郊外の司令所でミサイル攻撃警報がけたたましく鳴り響き、画面に「スタート」という恐ろしい単語が光った。続いて画面に「1発目の弾道ミサイルがスタートした。信頼度高」という文が浮かび、米国のミサイル発射場からの核攻撃を警告した。1兵士が主体的に考えるべき範囲についての厳密な軍服務規程は存在しないが、プロトコルに従うと、ミサイル発射を即座に報告する必要があった。だが、発射を裏付けるレーダーの探知情報はなかった。

    そこでペトロフ元中佐は状況を分析し、コンピュータ・システムが間違っているとの仮説を検討し始めた。この状況下で最も困難だったことを後に尋ねられたペトロフ元中佐は「最も深刻な試練は、次々とミサイル発射を伝えて毎分繰り返されるミサイル攻撃警報」だと答えた。

    ​警報は全部で5回出されたため、人間業ではない忍耐が必要とされた。だがペトロフ元中佐は視覚情報による発射に関する情報を根気よく待った。だがレーダーはミサイルからの熱放射を全く検出できなかった。恐怖とリスクから、警報が出されたが偽情報だと思われると司令官に伝えようと電話に手をかけた。これほど世界が核戦争に近かったことは一度も無かっただろう。あらゆる指示にかかわらず、彼は僅か数分間で全責任を負うことを決意できた。安心してゆっくりと息を吐けたのは、23分後に決断が正しかったことを裏付ける情報を得てからだった。こうして、この恐ろしい夜の出来事は、人的ファクターがどれほど重要かを示す。1つの誤った決断で全てが灰燼に帰す可能性もあるのだ。

    後に、警報が誤作動した原因が明らかになった。雲にかかった日光に反応していたのだ。

    しかしソ連軍の1兵士がシステムを信用しなかったという事実は、その後の出来事の進展に影響を与えた。西側世界はこれに動揺し大きな衝撃を受けた。国連の平和市民協会は2006年1月19日、ニューヨークにある国連本部でペトロフ元中佐に、地球を支える手の形をしたガラス製のトロフィーを贈った。そこには「核戦争を防いだ男」と書かれている。2013年2月17日には暴力や紛争を止めた人に贈られる国際ドレスデン賞を受賞した。ペトロフ元中佐以外にロシアで同賞を受けとったのはミハイル・ゴルバチョフ氏(2010)だけだ。

    その後、米国でペトロフ元中佐についてのドキュメンタリー映画『赤いスイッチと世界を救った人間』の撮影が始まった。主演はペトロフ元中佐自身が演じ、ケビン・コスナーやロバート・デ・ニーロ、アシュトン・カッチャーやマット・デイモンなどハリウッドスターが出演するこの映画は2014年に公開された。

    ​2017年、1983年の遠い秋の夜に地球の全人類の命を救う決断をし、私たちに希望を与えてくれたペトロフ元中佐は質素なモスクワ郊外のマンションの1室で死去した。

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    歴史, 核兵器, ミサイル, 米国, ロシア
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